そして個室部屋へ

手術の次の日 ICUから個室部屋へ移りました。

主人の姿を見て 色々な管が5本ホントに大丈夫なのだろうか? 

心の中が驚きと不安でいっぱいになりました。


個室部屋は手術を終えた人が次々入ってくる為、いつ相部屋へ移動になるか心配で私は特別個室に入れてもらえる様 交渉しました。

手術後の1週間は 腹筋を使う動作がとても痛そうでした。


その頃私の悩みは いつか退院したら食事はどうしよう?

私が食事を作らないと 主人が飢え死にしてしまう・・・なんて思いました。

健康な人の食事作りは レシピを見るなりして特別悩む事もなかったけれど

胃の無い人の食事なんて 今まで考えた事もありませんでした。

あれこれ考えた結果 Amazonで3冊 それようの本を買いました。

私の左手は腱鞘炎にはなりましたけれど 身長178センチ 体重75キロは亡くなる1ヶ月まで維持できました。


今日は夜3時間程 TVを見ながら手芸をしました。

私は キルトのキルティングをするのが大好きです。

それは何故か?

指先だけの感覚で頭を使わないからです。

ピアノを習った事がある方は ハノンの練習が大嫌いと云う人が多いと思いますがハノン大好きです。

2013 4月

四国に住んでます。

台風は慣れっこです。

夕方 多分台風の目に入ったかも?

この数年日本は自然災害が多く、悲しい話しをよく耳にします。

今回の台風 被害がでませんように。


去年の4月 別宅で住んでた私に主人から電話がありました。

「乗船中から時々調子が悪かったので 下船してすぐ近くの病院で調べたら胃ガンだった。明日○○病院へ行くからお金の用意をしてくれ」と。

え?  胃ガン?

ヘビースモーカーだから 「絶対最後は肺気腫になるよ」と時々注意はしていましたが。

検査の結果は 胃ガン ステージ2もしくは3 胃を3分の2摘出もしくは全摘

手術時間は3時間。


でも手術時間は4時間 5時間待っても出て来ず6時間かかりました。

その時 何かが起こっていると嫌な予感がしました。

手術が終わり ある部屋へ呼ばれ先生から手術結果を聞きました。

胃ガン ステージ4 胃は全摘 出来る限りの事はしましたが 胃だけでなくすでに転移有りと。

何て言うか 姑息手術ですね。

私はただ一言「分かりました。長い時間どうも有難うございました」

いきなりステージ4と言われると 言葉なんて出てきません。

頭の中は絶望感だけなんです。


病院の駐車場で私の15メートル程先に さっきの先生が歩いていました。

私は思わず先生に近寄って

「先生 一つだけ質問があるのですが・・・1年命もちますか?」

先生は「この頃は良い薬があるから 頑張ってみましょう」と。


車を運転して帰る途中 涙がひと筋こぼれた。

数時間経つと私の頭も正常になり これから本人のやりたい事 行きたい処 とにかく希望する事は全て協力しようと。。。 


  

あの頃

主人の父親はすでに亡くなっていましたが 母親が居まして 母親は主人名義のマンションに一人住んでいました。母親が一人暮らしは寂しいと言うので 5年前私達が同居しました。

主人は船員ですから ほとんど私と姑との生活でした。

同居して1年程経つと 姑は私が居る為心強くなって元気 私は何となく夜がますます眠れなくなって憂鬱な気分になったり・・・・・。

思い切って心療内科へ行ってみると先生は「環境の変化によるストレス」と。 

「でも姑と喧嘩もした事ないのですが・・・・」と言うと 

「姑が居るだけでもストレス」と言いました。

私はここに居るとますます体の調子が悪くなるかも?      

と思い 主人にはしばらく実家で暮らしてみると言い ヘソクリで主人には言わず実家から歩いて10分の処へ中古のマンションを買いました。一人静かに暮らしてみたかった。


県外から帰省するたび私の友達達は どうなってしまったのか心配してくれて遊びに来てくれました。

3ヶ月程で 私は治りました。


私には6歳離れた弟がいますが 

弟が生まれるとどうしても母親は弟の世話に忙しく 母親も体調が悪かったみたいで弟が生まれて2年間程お手伝いさんに来てもらっていました。

元々おおらかに育てられた一人っ子の私が 小学校入学と同時に出来る限り自分の事は自分で考えて行動すると。。。


この頃から 枠にとらわれない性格になりつつかも知れませんね。。。